やっとついたよセネガル(2日目)

やっとついたよセネガル(2日目)
2000年7月13日
 セネガル時間、午前7時40分、予定より30分ほど早くアエロフロート機は無事にダカール空港に到着しました。「アエロフロートはロシアの航空会社で安全性が低いから、着陸が無事に済むと乗客が拍手をするんだよ。」という話を聞いていました。実際本当に、着陸したときに拍手が起こりました(笑)。
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 預けてあった荷物も、一番先に出てきて入国手続きも一番乗りし、「幸先の良い旅のスタートだ」と思い、空港を出たところ、友人(三宅さん)がいない!「あーどうしよう!」と思っているうちに黒人が沢山寄ってきました。片言の日本語や英語で「ワタシ、ニホンジンノトモダチタクサンイル。ダカラ、アンシンシテツイテキテクダサイ」などという。そんな、安心できるわけないだろ!と思いつつ待つこと40分ほどして、ようやく三宅が迎えにきてくれました。どうやら、アエロフロート機がまさか定刻どおりに到着するとは思ってもいなかったとのこと。それはそうだ。私自身、そんなことは思ってもいなかったのだから・・・。
 ダカール市内まではタクシーで移動。フランス語で、巧みに黒人のアンちゃんたちと値段交渉する三宅(女の子です)を改めて尊敬しました。
 車で走ること約30分。ダカール中心部に到着。やはり、首都にぎやかだ。しかし、よってくる物売りにはうんざり。とにかくひつこい。すすきのの客引きなみである。
 街で、ズボン、サンダルなどの買い物を済まし、両替もした。セネガルの通貨はCFA(セーファーフラン)といって、フランスフランの100倍。日本円と比べると日本円1に対しCFAが5になる。
 
ダカール中心部にて
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午後、ボート部時代の先輩二人と落ち合う。そして、街の屋台で地元の料理を食べる。基本的にセネガルは米食である。洗面器のような器に油を混ぜたご飯を入れ、魚や肉と野菜を煮込んだシチューのようなものをのせ、食する。米の匂いがきつくて食べにくかったが、おそらく
割合日本人にあっている部類の食事だと思う。
街を歩いていると、さっき買い物をした絵葉書やさんの「パスポ-ト」と叫んでいた。また、なんか変なことを言って何かを買わせようという魂胆なのだろうと思っていたら、なんと私は彼のお店の前でパスポートが入った首かけ袋を落としてしまっていたのだ。本当に良い人に見つかって良かった。本当に一大事でした。お礼に600CFA(日本円にすると100円くらいですが・・・)をあげました。
 食後、ゴレ島に行く。ゴレ島とは、昔奴隷を輸出するまでの間、一時滞在させておく(当時で言えば保管しておくといったほうが妥当か)ための島で、現在は観光地になっている。上の写真はそのゴレ島の黒人倉庫で取った写真。左からクラブ同期の三宅さん、筆者、先輩の山本さん(源さん)。
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ゴレ島から大陸に戻ったあと、青年海外協力隊のダカール連絡所でちょっと休憩させてもらう。上の建物がそうですが、なんと元インド大使館だったそうです。
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 連絡所から夕食を取るためにダカール中心部へ向かう途中にあったのがダカール大学(上写真)。なんとセネガルには2つしか大学がないそうです。
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 夕食は、カーボベルデ(大西洋に浮かぶ島国)料理を食する。おいしかったが、昼間に食べたセネガル料理とおんなじ感じだったなあ。それと、セネガルビールの「ガゼル」を飲む。
 その日は、安ホテルにまっすぐ帰って就寝。

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