総武流山電鉄鰭ヶ崎駅付近に味わいのある定食屋さんがあると聞いていって見ました。
お店は4、5人もはいればいっぱになりそうな店内。
私が店に入ると、長居していた常連さんのような方がかえっていきました。
さて、私が注文したのはカツカレー600円。
マツノ特製のカレールーと、マツノ一押しのカツ月入っていてこの値段は安いですよね。味は、ひつこくもなく割りとさらっと食べられました。
今度はとんかつ定食を食べてみたいです。

セブン-イレブン・ジャパンは、ヨン様ことペ・ヨンジュン(35)が監修した弁当の予約販売を12日に始めると発表したが、その値段が話題となっている。
 ヨン様が監修する韓国料理店「ゴシレ」を運営するビーオーエフインターナショナルとセブンイレブンが共同開発して完成した弁当で、価格は2500円。セブンイレブンの一人用弁当の中では最高値だ。韓国の伝統料理が16種詰まった仕上がりとなっており、ヨン様ファンの女性をターゲットとしている。(アメーバニュース)

この超高級弁当食べましたよー。
味は、おせち料理もどきみたいな感じでした。
第2弾がでたとしても、食べないなあ、、、きっと。

今から20年ほど前に起きた幼女誘拐殺人犯の宮崎勤死刑囚に対して、今日、死刑執行がありました。
事件当時は、大変な大騒ぎで、確か「オタク」と言う言葉もこの事件をきっかけに広まったのではないでしょうか?
さて昨今、死刑廃止がさけばれておりますが、宮崎事件といい、秋葉原の通り魔事件といい、凶悪事件が多い、この世の中で、国民の相違が、死刑廃止を求めてはいないような気がします。

2000年7月21日
朝、7時に起きる。そして、アッシュ君に見送られ、8:30の渡し舟に乗る。お客さんはだいたい仕事で乗っている人が多いようだ。船の上では、おばちゃんが布を広げ周囲の人相手に商売をはじめていた。3、40分で船は反対岸のジエールという町に到着した。そして、カール(乗合バス)をさがしたのだが、早くつかまった。しかし、そこで、ちょっと失敗してしまった。のどが渇いていたので飲み物を買ってしまったのだ。飲み物を買っている間にカールはいっぱいになってしまい、「もう乗れないよ」といわれてしまった。しかし、それを乗りにがすと次にいつカールがつかまるかまったく予想できないので、無理やり乗り込むことに決めた。それで、結局私と源さんが乗れたのは屋根の上でした。(写真下)最初は「エー」と思いましたが、なかなか風通しがよく気持ちがよかったです。ちなみに、同行していた三宅は女の子(?)なのでレディーファーストということで車の中に乗せてもらっていました。
10-2.JPG
 バスは、30分ちょっと走ったところで、次の中継地点サンバジャヤ(日本語で書くと産婆茶屋とでも書くのだろうか・・・)に到着。しかし、それからも、フィムラ、ジョスモン、ファティック、カオラックと四回も乗り継ぎしなければいけないらしい。あー大変。
 まあ、頑張って乗り継いで1時過ぎにファティックに到着。ファティックというのはファティック州という州があるのだがそこの州都なんだそうだ。しかし、小さな田舎町であった。そこで、協力隊員お勧めの食堂にいってお昼をいただいた。やはり、お勧めだけあってなかなかおいしかった。特に、ご飯についているおこげがおいしい!
 お昼を食べた後、フンジュンへ帰る三宅と分かれる。源さんがバイクの免許の試験の申し込みをするということなので、3時まで公園でお昼ね。お役所もお昼はきっちり休みを取るのだ。
うとうとしたころ、ようやく3時になり免許の申し込みをする。無事申し込みを完了させ、われらが次に向う目的地は、カオラックである。1時間ほど揺られてカオラックにつく。カオラックはとてもあつく、とても汚い。ハエが異常に多い。道端で売っている食べ物には所狭しとハエが止まっており、絶対に買いたくない!というほどだった。写真でとろうとしたのだが、あまりにも汚いのでついカメラを向けるのがためらわれた。カオラックは別名「ハエの街カオラック」とも言われているらしい。でも、そんななかでも、フランス人などの外国人がやっているお店は清潔でハエがいない。やっぱり、セネガル人はハエなんかにかまっていては生きていけないのだろうか。
 カオラックで買い物を済ませたあと、ついに、今日の最終目的地トゥバクータに向う。トゥバクータは私の先輩の源さんの赴任地である。源さんは私に、現地人の家にホームステイさせてくれるという。やっぱり、アフリカにきたのだからアフリカ人の生活をしっとくべきだということらしい。たしかに、そのとおりだなと思った。しかし、ちょっと不安だった。それから、ホームステイ用に僕のセネガル名を考えてくれた。その名前はアース・サンゴールである。アースは僕の名前は豊一で、クラブの仲間に「カズとよんでくれ」などといってから、よんでくれる人が2,3人くらいいた私のあだ名である。しかし、セネガルで「カズ」といっても、みんな「カズ」という言葉をいえずだいたい「アース」になってしまう。だから、セネガル名は「アース」にしてみた。それから、「サンゴール」だが、僕をホームステイさせてくれるお宅がサンゴールさんという家なのでそうである。
 カオラックの乗合自動車まち場(ガラージュ)で1時間またされ、ようやく出発した。トゥバクータには約1時間でついた。カオラックを出たときは暑くてしようがなかったが、そのご急に雲行きが怪しくなり夕立になった。トゥバクータにつくころにはだいぶやんだが、街道から10分ほどトゥバクータの街中まで歩かなくてはならないので、ちょっとぬれてしまった。原産の家に行く途中で「日本人邸」と言う文字が大きくかかれている家があった。聞くと、以前いた海外協力隊の人が日本に帰国する際、日本円で15万円ほどする骨董品のような高いお土産を買ったため、お土産屋の主人が自分の店にぜひ日本語で何か書いてくれといってかかれたものなのだそうである。一言に15万円といってもセネガル人の平均所得額の1年以上の額である。多くのセネガル人は「日本人はやっぱり金持ちだなあ」と思っただろう。
 源さんの赴任している町にはもう一人の海外協力隊員の七尾君がいた。彼は函館出身だそうで、北海道の話をした。彼は、魚類の食品加工の指導をしているそうだ。彼が持ってきてくれた魚の燻製は日本人よく合ういい味だった。また、米も炊いたのだがそれがなかなかいい味だった。聞くと台湾が指導して作った米なのだそうである。セネガル人は米が主食なのだがこの台湾の援助米は、生産コストがかかり、値段が高いためセネガル人はなかなか食べられないのだそうだ。ワイン、日本酒もいただく。
 記念写真をとり(下写真)、11時前に就寝。
10-1.JPG

2000年7月20日
 朝、ゆっくりと起床。朝食を取る。ほんのわずかなリゾート気分ももうお別れ。荷物をまとめてホテルを後にする。下が泊まった部屋です。なかなかおしゃれでしょ。でも、日本のホテルと違うのは水がしょっぱいのとシーツが茶色いこと。
9-1.JPG
9-2.jpg
 歩いて次の目的地ニョジョールに行こうとしたらちょうどホテルに冷蔵庫を馬車(シャレット)運んできた子供たちに会う。早速値段交渉。セネガルの子供は実にたくましい。とんでもない値段を吹っかけてくる。20分以上ねばったろうか。なんとか、折り合いがつき出発。しかし、セネガルにきて思うのは、やたら値段の交渉に時間がかかる。粘ってもせいぜい100円か200円くらいしか変わらなくて僕などはこんな暑いところであーだこうだしたくないので、ちょっとセネガル人に負けてしまうのだが、アフリカに住んでいる友人たちはその辺が違う。どんなことをしても、ちゃんとした相場になるまで粘るんだからえらい。この馬車は日本円で200円くらいだったかな。
 ホテルから、一番近くの街まで子供たちの馬車に連れて行ってもらいそこからまた別の馬車をチャーターすることになった。地元の人にお茶をもらいながらしばらく待っていたがなかなか、馬車がやってこない。50分くらいたってようやく馬車がきた。今度もちびっこが馬を引いてくれるらしい。
画像の確認
 途中、川があったので渡り舟に乗せてもらう。僕らもオールを握らせてもらう。ボート部の我々はとっても燃えてしまった。久しぶりに乗った手漕ぎ舟はとても楽しかった。
 いろいろ苦労してようやく目的地ニョジョールに到着。ホテルからは5~6kmくらいあったろうか。ニョジョールには僕らの友人の協力隊仲間が赴任しているので訪れることになったのだ。
 その友達は、我々をお昼も食べずに待っていてくれた。我々は途中の街でしばらく馬車を待っていたから、ニョジョールに到着するのがとても遅くなってしまったのだ。
お昼は、ヤッサを出前してもらって食べる。やはりいつものようにご飯に煮物がのっているものなので日本人にも抵抗は少ない。
 みんなで、お昼寝をしたあと、みんなで街を探検し、ニョジョールの協力隊員アッシュくんこと伊東君がお勧めのきれいな景色のスポットへいくことに。最初のうちは私はみんなと同じく元気に歩いていたのだが、だいぶ旅行の疲れが出てきたようで歩くのがだるくなってきた。それに、ダカールで買ったサンダルが合わなくなってきて靴づれがひどく足がかなり痛い。でも、なんとかみんなについてあるいた。
画像の確認
 セネガルに着てからやしの木のようないわゆる南の島に生えている木を見たことがなかったのだが、このニョジョールにはやしの木が生えていた(写真上)。ゆったりとした時間のながれとやしの木でゆったりとした気分になりました。
画像の確認
 ふと、街の広場にいくと派手な衣服をまとった女性たちが大勢集まっていました。聞くと、月に1,2度開かれる町の女性のさまざまな問題を話し合う会合なのだそうです。
歩くこと、10分少々で「きれいな景色のところ」についた。ここは、川と川が合流する地点でマングローブが生い茂っている。雄大な眺めできれいだった!しかし、僕は疲れ果てていたので景色がきれいということよりも目的地に着いて休めることが何よりうれしかった。
 
 しばらく、景色を見た後、街にもどる。上の写真は羊が2匹塀の上に乗って追いかけっこをしている様子である。
 夜は、セネガル料理の魚と野菜の煮物にパンだった。夕食後、アタイヤをやった。アタイヤとは、セネガルのお茶である。おちゃっぱはどうも紅茶らしい。それを炭火を起こしてホーロー製の小さなやかんに湯を沸かし砂糖をたっぷりいれて、飲むのである。ポイントになるのはお茶をあわ立てることである。写真下で源さんがやっているのはお茶の泡立てである。
9-6.jpg
セネガル人はこの泡立てがうまいのである。小さなコップに入れてアタイヤを飲むのだが、こコップを2つ使って高いところからアタイヤをそそいで泡立てをするのだが、なれていないとすぐこぼれてしまう。それをセネ人は手品のように上からきれいにアタイヤを注いでしまう。よく昼下がりにセネガルで見られる景色である。
さて、アタイヤは3杯飲むことになっている。セネガルで言われているアタイヤの3杯をあらわしている詩がある。「1杯目のアタイヤは恋のように甘い。2杯目のアタイヤは人生のように苦い。3杯目のアタイヤは死のようにやさしい」というものである。気候の厳しいところで暮らしているセネガル人は人生をつらいものととらえ、そのため死はやさしいものととらえているようである。私は死がやさしいというのを聞いてなんかへんだなあと思った。日本人だったらそんな風には考えないですからね。
アタイヤをしながら、アッシュ君がギターを持ち出してギターの弾き語りをはじめた。
先ほどのアタイヤの詩も音をつけ歌いながらアタイヤを飲んだ。こうしてゆったりとニョジョールの夜はふけていった。 9-7.jpg