車の移動は大変(10日目)

2000年7月21日
朝、7時に起きる。そして、アッシュ君に見送られ、8:30の渡し舟に乗る。お客さんはだいたい仕事で乗っている人が多いようだ。船の上では、おばちゃんが布を広げ周囲の人相手に商売をはじめていた。3、40分で船は反対岸のジエールという町に到着した。そして、カール(乗合バス)をさがしたのだが、早くつかまった。しかし、そこで、ちょっと失敗してしまった。のどが渇いていたので飲み物を買ってしまったのだ。飲み物を買っている間にカールはいっぱいになってしまい、「もう乗れないよ」といわれてしまった。しかし、それを乗りにがすと次にいつカールがつかまるかまったく予想できないので、無理やり乗り込むことに決めた。それで、結局私と源さんが乗れたのは屋根の上でした。(写真下)最初は「エー」と思いましたが、なかなか風通しがよく気持ちがよかったです。ちなみに、同行していた三宅は女の子(?)なのでレディーファーストということで車の中に乗せてもらっていました。
10-2.JPG
 バスは、30分ちょっと走ったところで、次の中継地点サンバジャヤ(日本語で書くと産婆茶屋とでも書くのだろうか・・・)に到着。しかし、それからも、フィムラ、ジョスモン、ファティック、カオラックと四回も乗り継ぎしなければいけないらしい。あー大変。
 まあ、頑張って乗り継いで1時過ぎにファティックに到着。ファティックというのはファティック州という州があるのだがそこの州都なんだそうだ。しかし、小さな田舎町であった。そこで、協力隊員お勧めの食堂にいってお昼をいただいた。やはり、お勧めだけあってなかなかおいしかった。特に、ご飯についているおこげがおいしい!
 お昼を食べた後、フンジュンへ帰る三宅と分かれる。源さんがバイクの免許の試験の申し込みをするということなので、3時まで公園でお昼ね。お役所もお昼はきっちり休みを取るのだ。
うとうとしたころ、ようやく3時になり免許の申し込みをする。無事申し込みを完了させ、われらが次に向う目的地は、カオラックである。1時間ほど揺られてカオラックにつく。カオラックはとてもあつく、とても汚い。ハエが異常に多い。道端で売っている食べ物には所狭しとハエが止まっており、絶対に買いたくない!というほどだった。写真でとろうとしたのだが、あまりにも汚いのでついカメラを向けるのがためらわれた。カオラックは別名「ハエの街カオラック」とも言われているらしい。でも、そんななかでも、フランス人などの外国人がやっているお店は清潔でハエがいない。やっぱり、セネガル人はハエなんかにかまっていては生きていけないのだろうか。
 カオラックで買い物を済ませたあと、ついに、今日の最終目的地トゥバクータに向う。トゥバクータは私の先輩の源さんの赴任地である。源さんは私に、現地人の家にホームステイさせてくれるという。やっぱり、アフリカにきたのだからアフリカ人の生活をしっとくべきだということらしい。たしかに、そのとおりだなと思った。しかし、ちょっと不安だった。それから、ホームステイ用に僕のセネガル名を考えてくれた。その名前はアース・サンゴールである。アースは僕の名前は豊一で、クラブの仲間に「カズとよんでくれ」などといってから、よんでくれる人が2,3人くらいいた私のあだ名である。しかし、セネガルで「カズ」といっても、みんな「カズ」という言葉をいえずだいたい「アース」になってしまう。だから、セネガル名は「アース」にしてみた。それから、「サンゴール」だが、僕をホームステイさせてくれるお宅がサンゴールさんという家なのでそうである。
 カオラックの乗合自動車まち場(ガラージュ)で1時間またされ、ようやく出発した。トゥバクータには約1時間でついた。カオラックを出たときは暑くてしようがなかったが、そのご急に雲行きが怪しくなり夕立になった。トゥバクータにつくころにはだいぶやんだが、街道から10分ほどトゥバクータの街中まで歩かなくてはならないので、ちょっとぬれてしまった。原産の家に行く途中で「日本人邸」と言う文字が大きくかかれている家があった。聞くと、以前いた海外協力隊の人が日本に帰国する際、日本円で15万円ほどする骨董品のような高いお土産を買ったため、お土産屋の主人が自分の店にぜひ日本語で何か書いてくれといってかかれたものなのだそうである。一言に15万円といってもセネガル人の平均所得額の1年以上の額である。多くのセネガル人は「日本人はやっぱり金持ちだなあ」と思っただろう。
 源さんの赴任している町にはもう一人の海外協力隊員の七尾君がいた。彼は函館出身だそうで、北海道の話をした。彼は、魚類の食品加工の指導をしているそうだ。彼が持ってきてくれた魚の燻製は日本人よく合ういい味だった。また、米も炊いたのだがそれがなかなかいい味だった。聞くと台湾が指導して作った米なのだそうである。セネガル人は米が主食なのだがこの台湾の援助米は、生産コストがかかり、値段が高いためセネガル人はなかなか食べられないのだそうだ。ワイン、日本酒もいただく。
 記念写真をとり(下写真)、11時前に就寝。
10-1.JPG

コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です